諡号・追号・異名 [ ] 退位後の御在所に因んで「花山院」と呼ばれた。
させ=尊敬の助動詞「さす」の連用形、接続は未然形。
この花山法皇の巡礼が「 西国三十三所巡礼」として現在でも継承されている。
専攻は平安女流日記文学(特に『蜻蛉日記』)。
寛弘二、三年 1005~06 頃、公任撰の『拾遺抄』を増補し、第三勅撰和歌集を親撰したとされている。
この事件は元号を取って「寛和の変」と呼ばれています。
菩薩が仏になる際、諸仏が頭に水を注いで最上位に達したことを証明する儀式)を受け、1030年(長元3年)には伝法阿闍梨(でんぽうあじゃりい。 在位中の元号 [ ]• 作者からの敬意。
19晴明の守護のもと、修行に邁進した花山上皇。
因みに花山院は那智山で千日修行をしたと伝わり、二の滝の上流に行在所跡が残る。
給ひ=補助動詞四段「給ふ(たまふ)」の連用形、尊敬語。
父の冷泉天皇と同様に奇行が目立つこともあったが 叔父の の譲位により、17歳で即位した。
日本の平安時代に33人存在した天皇。
【補記】「山に入り」には出家する意が掛かる。
現代語訳 (世継が)しみじみとご同情にたえないことは、 (花山天皇が)御退位なさった夜(のことです。 しかし三の君の妹・四の君のもとには摂政関白内大臣・藤原道隆の三男である藤原伊周(これちか)も通っており、ある日四の君の元へ向かおうとしていた伊周はその先で法皇の姿を見かけることに。 。
7著述に『平安文学研究 生成』(2005年 笠間書院)収録の、「蜻蛉日記論 ~兼家の居場所~」がある。
「あり・居り・行く・来」の尊敬語。