「『玉を』打つ、『玉を』打つ、『玉緒』打つ、玉緒ぶっとばすなんて、しませんよ!」 長い事そう言っていたが、結局、玉を打つプレーに熱中して、チョコレートを分捕っては「勝つ! 新太郎!」なんて悦に入っていた。 東映京都• 「ウチ(個人プロダクションの若山企画)に来て修業してみないか」 引用: その後は、若山さんの元で修行をし、テレビドラマシリーズ「北アルプス山岳救助隊・紫門一鬼」などで活躍をした騎一郎さんですが、私生活では3度の結婚と2度の離婚を経験した他、覚醒剤取締法違反での逮捕歴があるなど、破天荒ぶりも父親譲りとなっています。 それでも生活習慣を改めなかった若山さんは、1990年には腎機能障害まで併殺し週3回の人工透析を受けるなど体がボロボロになってしまった他、1992年2月にはペースメーカーを埋め込むほどに心臓の状態が悪化してしまいます。
お父ちゃんは絶対の上の絶大で、二人の仁王様の如き特異能力役者でも、お父ちゃんの前では矜羯羅(こんがら)童子・制迦(せいたか)童子のようになってしまう。
東映東京• 当時の「若山企画」には、50代の女性社長から女優志望の内弟子、身の回りの世話するお手伝いさんなど5~6名の女性がいたそうですが、そのほとんどが若山さんの愛人だったとか。
『続』では過去の因縁から市(笠間の市太)と反目する実兄・渚の与四郎役、『千両首』では剣客・仙場十四郎役で、どちらも勝と迫力ある殺陣を演じている。 東映京都• (1968年)• 息切れしてきたか。 菅原自身は若山には礼を尽くしていたので、若山は意に介していなかったが、遂に乗せられ「アイツ自身のためにみんなの前で殴る」と菅原を殴ることになった。
5そしてボロボロになりながら、単身で敵地へ乗り込むのだ。
仁王は、御存じのように阿仁王と吽(うん)仁王の兄弟で、怒ると合体して、宇宙で一番硬い物質の金剛に変化して金剛力士となる。
特に「時代劇コント」では、に松葉杖を預けた上で、ぎっくり腰とは思えぬ見事なを披露した。 (1986年、東映)• そんな彼について、実弟の夫・勝新太郎とともに、若山の最期を看取った女優・中村玉緒氏はこう語っている。 東映京都. 洒落を説明するのもおかしいが、勝新太郎の妻が、中村玉緒だと知る者にだけ通じるギャグだった。
6廊下の水滴を辿って後を追ってきた若山に踏み込まれるが、周囲の役者らの機転と浴槽の湯に潜ったことで事なきを得た。
白黒作品の『打ち鴉』に主演した他はや弟のの脇役に甘んじ仕事では不遇の日々であった。
もしこの作品をご覧になって「子連れ狼」とはかくなるお寒い時代劇かと納得されている方がおられると思うと・・・まったく。 遠藤太津朗の烈堂というのも珍しい。 の勝プロ制作の映画『』ではに扮し、凄みのあるダイナミックな殺陣と寡黙な演技は「一刀の若山か、若山の一刀か」と評されるほどの代表作になり、海外にも輸出された。
12だから主人はお義兄さんが羨ましかったんでしょうね」(同) 亡くなったその日も、麻雀卓を囲み、かつてキスシーンを演じた相手である清川虹子と、どちらが先に相手に舌を入れたか笑って話していたという若山。
早く帰ろうと思ってるなぁ!淳子ちゃん何か言って下さい」と呆れながら止められてしまい、結局全額を賭けることはできなかった。
道産子人生/波止場ブルース(テイチクレコード、A-14)• 後年でスターダムにのし上がり、映画賞・演劇賞を数々受賞するに至ってからは名優としての評価を高めたのに対し、勝は不祥事が相次ぐようになり、その評価は逆転した。 山下少年物語(1985年、)• しかし彼の醸し出す異様な雰囲気に、他の出演者を圧倒していました。
5(1978年、)• この映画の中で若山は英語を話すのですが、 それはブロークンイングリッシュです。
と、スタッフに指示し、柳沢さんを 「東映京都撮影所」俳優会館内の自分の楽屋(特別室)に呼び出したのだそうです。
「夕方6時に出勤し、トイレ掃除から仕事が始まります」とか。 伝説その3 大奥を持っていた 若山自身が率いるプロダクションはまさに大奥でした。 (実は、若山さんと居合わせた場合には、座っていれば必ず立ち上がる、すれ違った時は必ず立ち止まって「若山先生、おはようございます! ただ、その翌年、短大生になった安田さんに、若山さんがオファーしたそうで(この時、初対面)、この時も安田さんはオファーを断られるのですが、 続け様に、さんからもオファーが来て、直接断ろうと撮影所に行ったところ、勝さんから、「ちょっとおいで」と衣装合わせに連れて行かれ、豪商の娘役の衣装を着せられると、それがあまりに綺麗だったため、「つい、やります!」と言ってしまい、映画界入りとなったのだそうです(笑) 当時の安田道代さん. 伝説その2 派手な女性関係 2度の結婚と離婚をしました。
2母上も一緒だったと聞いた。
(閲覧)• 劇中で奥村刑事が「桜組のモンや」というように、「桜」を「やくざの代紋」に見立て、やくざ顔負けの暴れっぷりを見せる。
東映京都• 公開の『』の磯川警部と、から放送されたテレビドラマ『』の菊池弁護士は、優しい人間味と哀愁を湛えた等身大の中年像であり、抑えた演技はそれまでのイメージを一新した。
役者を目指していた騎一郎氏に日活の松尾昭典監督が、「役者になるなら父親に会っておきなさい」 と段取り、父と面会したのだ。
東映京都• 東映京都. (1972年)• こちらはぎょっとしますが、そんなのお構い無しです。 どうしてこんな原作無視の結末になったのか不明。
17東映東京• その舞台女優は 明石智水さんという方。
勝プロ• 圧倒的なスピード感が今見ても凄い。