なお、告発を無視した監督官庁である大阪府の職務怠慢を指摘し、行政側の責任にも言及している(毎日新聞朝刊 1980. 他方、心ある医師による「精神病院開放化」が各地で点として存在したが(注14)、全体的な精神病院の仕組みは依然として本質的に変わることはなかった。
人手不足と点数至上主義による劣悪医療 医療スタッフの数を水増しすると、現場が人手不足になり、医療の質の低下に直結します。
この基準看護料の差額が2年間で20億円になっていた。
倒れる直前3カ月に限ってみても、完全に休みをとれたのはわずか3日間だけで、中には2日目の夜から再び上記の勤務に入ることさえあった。 ご了承ください。 【脳神経外科診療変更のお知らせ】 脳神経外科の診察日は月曜日のみになります。
7医療法では「知事が病院の開設許可を取り消す」ことができた。
平成10年4月14日、大阪地裁は安田基隆に懲役3年の実刑判決を言い渡し、即座に収監された。
1994年2月16日、大阪府は大和川病院に対して再調査を実施した。 しかし遺族がのぞき窓から見たとき、左手に切り傷や打撲傷があったので不審を抱き、職員や患者の間でもリンチ事件が噂になり柏原署に投書や訴えが相次ぎ事件が明るみに出た。
14精神病院における不祥事件は、決して過去の問題ではなく、現在もなおどこかで存在しているのではないかということが懸念される。
したがって、控訴人は、平成四年三月にB病院の付添婦(職員)として採用され、被控訴人との間に労働契約を締結したものと認めるのが相当である。
29)。 has-very-dark-gray-background-color. 丸山弁護士らが患者の弁護士に対する面会は法律で保障されている権利であることを指摘しても、病院の面会拒否の態度は変わらず、更に、弁護士には会わない旨のYMさんらのメモ書きを見せてきた。
平成9年6月に健康保険法改正案が成立し、健康保険の自己負担が1割から2割へ引き上げられた。
この新聞で報道されたIさん死亡事件が、以後の一連の大和川病院事件の発端となった。
病院にとっては、生活保護患者や公費医療補助の老人は確実に収入となった。 さらに、大和川病院に対する訴訟事件として、1993年の事件に対する家族からの損害賠償請求訴訟がある。 しかし監査は、形式的なもので問題があったとしても書類上の改善勧告で済ませることが慣例のように行なわれていた。
15そこで大阪府は報告書の再提出を要請するも病院側が拒否したため、改めて調査指導を実施することになったという経緯がある(産経新聞朝刊 1997. 『東大病院精神科の30年 - 宇都宮病院事件・精神衛生法改正・処遇困難者専門病棟問題』〈クリティーク叢書 18〉、2000年1月。
3; 戸塚・広田 1984: 278-279)。
事件発生の根本原因には、「精神科医自身の姿勢」(戸塚・広田 1984: 278-280)や「国による精神科医療に対する差別と医療従事者の認識の低さ」、事件発生後の「行政の対応の遅さ」、(里見 2003: 869; 精神神経学会 1981: 459-466; 渡辺 2006: 19-30)および「消極的な情報開示」(山本 2001: 50-52)などが先行研究によって指摘されている。
11(中略)殴る蹴るは日常茶飯事(中略)、看護人たちは「お前は不定期刑だ。
亡くなった患者は「心不全」にして片づけます。
にもかかわらず入院環境は依然として改善されなかった。 3病院では、医師の診察が何か月もない、患者が亡くなってもすぐに気づかないといった状況が日常的で、高齢の患者はしばしば縛りつけられていました。
6その後、大阪府などの調査によって、医療法で定められたスタッフ配置の最低基準に対し、医師数は約40%、看護職員は約30%しかいないことが判明しました。
以上の経過はビデオカメラにより撮影され、後日、関西テレビで放映されたが、撮影中、病院関係者から撮影行為を拒絶するような言動はなかった。