・ 禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし) 幸福と不幸は、より合わせた縄のように交互にやってくるという意味です。
・・・ 次回記事: 前回記事: 「」のカテゴリーへ 「」のカテゴリーへ カテゴリー• この言葉に出会う人生のタイミングによって、受け取る印象や、その言葉の重みが変わる格言といえるのではないでしょうか。
人間万事 塞翁が馬。 〔異形〕人生万事塞翁が馬/塞翁が馬/塞翁の馬。 逆境に陥ってもそれを逆用するぐらいにする、 物事が順調に進んでも油断しない、 いろいろなことにやしない どっしりとした人生を過ごすためにも 塞翁が馬をにするのもいいですね。
10たとえばヘミングウェイの有名な小説 「誰がために鐘は鳴る」などもそうですが 古風な言い回しの場合、 「が」を「の」と同じ意味で使うことがあります。
不幸せなことも、いつまでも続くわけではないということです。
長い人生ですから、幸福があれば禍もあるでしょう。
) 人皆弔之。
そのため、このエピソードは「塞翁が馬」と呼ばれるようになりました。 そのうち、主流なのは以下のような解釈です。 淮南子に記されている原文は、中国の書なので漢文で書かれています。
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人生の中では悪いことも良いこともあるということを示しています。
なので、災いと思っても深く悲しむことなく、福だと思っても過度に喜んだりしない、ということを教えてくれています。 村人たちのように幸不幸に一喜一憂するのではなく、人生における幸不幸は予測しがたいものだと理解して、おじいさんのようにどーんと構えて生きていきたいものですね。
9してが入ってきた。
ある日、 塞翁が飼っていた馬が逃げ出してしまったので、人々が慰めに行くと、塞翁は悲しむどころか「 これは幸いになるな」と言いました。
POINT 人間万事塞翁が馬の例文 失くしものが見つかって今日は1日良いことがありそうだと思っていたが、次は財布を落としてしまった。
ところが、息子は落馬の事故のため、 兵役に出ず無事だった。