ダムがもしかしたらできないかもしれないという錯綜した状況にあれば、とりわけそれまでの生活に愛着のある人たちは慣れ親しんだ水没予定地を早々と去ろうとは思わない。 [図表1]高齢夫婦無職世帯(夫65歳以上、妻60歳以上の夫婦のみの無職世帯) (出所)総務省「家計調査」(2017年) この「2000万円」という大きな金額に世間は衝撃を受けました。 しかも、定年となる60歳から年金を受け取れる65歳までは無収入となります。
9このままでは年金制度は破綻してしまいます。
35年で3000万円ということは、年間約86万円。
行く末の見えない、なくなってしまうかもしれない集落で実践されつづけたこのような行事は、集落が人びとに果たしてきたことを今までになく強く伝えたことだろう。 人生安泰の職「地方」でも圧倒的赤字 公務員には2000万円前後のがあります。 その証拠として厚生労働省は2014年に「30年後の年金給付額は、今より2割ほど低くしなければならない」と発表しています。
けれどわたしが思わず売却されることになった大企業と小さな集落を重ねてしまったのは、自分の人生よりもずっと長生きであるはずだった組織が、自分の目の黒いうちに無くな ってしまうかもしれない局面を迎えているという意味でよく似ていたからである。
旅といっても余暇としての旅行とは随分と違って、リラックス感に満ちたものではないのですが。
退職金がほとんどなくなることになります。
というのも五木の水没予定地の人びとは、誰が村を離れて、誰がもとの集落上手に造成される移転先に残るのかを30 数年を経てなお確定することができずにいたからである。
2009年には、論文の部で日本村落研究学会奨励賞を受賞されています。
さらに5万5000円という毎月の不足額は、あくまで平均値です。 村を去る人は必ず焼酎を手に常会で挨拶をしたという。 それゆえ若手の皆さんは、先輩たち以上に適切なライフプランを立てることが必要です。
1水没予定地での反対運動から時を隔てること 20 年であった。
この集落では計画が発表された1966 年以降現在に至るまで、できるかどうかわからないダムの行く末をみつめてきた。
なぜ人は集落をつくって生きようとするのかを問い訪ねる旅は、五木村から始まり、今も相変わらずつづいている。
この状況をみて建設反対の主張を継続できなくなった反対派も、間もなく補償案を受け入れ、反対の看板を下ろすことになる。
繰り返し地震が訪れる街、仙台で、人々はどのように行動し、困難に立ち向かっていたのか。 その後、略歴や所属等に変更がある場合がございます。 名前しか知らない場所、聞いたことがあるだけの職業、会ったことのない人たちは、すぐそばに存在しているはずです。
このようなライフプランに沿った資産形成が豊かな老後の実現には必要不可欠なのです。
主な著書・論文・調査研究報告等 単著(2016) 『存続の岐路に立つむら』 昭和堂 分担執筆(2016) 『災害文化の継承と創造』 臨川書店 編著(2015) 『災害と村落』 農山漁村文化協会 分担執筆(2013) 『途絶する交通、孤立する地域』 東北大学出版会 共編(2013) 『更地の向こう側-解散する集落「宿」の記憶地図』 かもがわ出版 所属学会 日本社会学会、文化人類学会、日本村落研究学会、環境社会学会他 研究・教育方針(研究指導・演習の特色等)モットー 社会学は他者に出会い、ゴールのない「旅」をつづけるためのコンパスだと思っています。