投稿: 片柳 達 2010年3月11日 木 12時08分 今朝、家の前の通りを掃いていたら、子供たちが通っていた幼稚園の制服を着た男の子がママに手をひかれて通りました。
やなわらばー 思い出のアルバム 作詞:増子とし 作曲:本多鉄磨 いつのことだか 思い出してごらん あんなこと こんなこと あったでしょう うれしかったこと おもしろかったこと いつになっても 忘れない 春のことです 思い出してごらん あんなこと こんなこと あったでしょう ぽかぽかお庭で なかよくあそんだ きれいな花も さいていた 夏のことです 思い出してごらん あんなこと こんなこと あったでしょう 麦藁帽子で みんなはだかんぼ おふねもみたよ すなやまも 秋のことです 思い出してごらん あんなこと こんなこと あったでしょう もっと沢山の歌詞は どんぐりやまの ハイキング ラララ 赤いはっぱも とんでいた 冬のことです 思い出してごらん あんなこと こんなこと あったでしょう もみの木かざって メリークリスマス サンタのおじいさん わらってた 冬のことです 思い出してごらん あんなこと こんなこと あったでしょう さむい雪の日 あったかい部屋で 楽しいはなし ききました いちねんじゅうを 思い出してごらん あんなこと こんなこと あったでしょう 桃のお花も きれいにさいて もうすぐみんなは 1年生 もうすぐみんなは 1年生. 今、手元の昭和51年10月発行の「オール読物」10月号を開いています。
二木先生の「おもいでのアルバム」の演奏を聴きながら草笛の練習を一生懸命にしています。
この曲が作られた当時は作詞の「増子とし」は墨田区の保育園長を務め、作曲の 「本多鉄麿」は調布市の幼稚園長だったとのことです。 子供たちの夢や希望が膨らみ実現して欲しいです。
19珠玉の合作が生まれたのは1957年。
「子をもって知る親の恩」という言葉もあります。
草笛は高音になりやすいので低音を出すのに苦労しています。 代わりにママやパパに送られていく保育園児をよく見かけます。 最近は散歩中の幼児や若いママさんが立ち止まるようになりました。
9抱っこはできませんが、未だに甘えん坊の孫娘はこの春大学生になります。
それぞれ二人づつ孫(高3、中2、中1、小4)がいます。
喜びや悲しみの折々、若い日々に口ずさみ今も心に強く残る歌があります。 コメントを拝読しながら曲を聴いていますと目頭が熱くなりました。 。
園児が大きくなっても思い出せる素敵なメロディーですね。
時には立ち止まって草笛を聞き入ったり、歌ってくれる園児もいます。
投稿: りんご 2018年6月12日 火 09時20分 りんご様 おもいでのアルバム 草笛で吹けるようになりました。
投稿: けん 2020年2月17日 月 17時47分. いつのことだか おもいだしてごらん あんなこと こんなこと あったでしょう うれしかったこと おもしろかったこと いつになっても わすれない 子供たちが可愛かった、私も若かった、夫も若かった ・・・。
『(わたしは)貧困な農家に生を受け 多分当時でいう 代用教員として赴任した宿戸小学校での歓迎会で、酔いに任せて歌ううちPTA会長に音楽室へ誘われ・・・。
(二木紘三) お読みなった方も多いと思いますが、3月10日付け朝日新聞朝刊の天声人語でこの歌が誕生した経緯などが紹介されました。
背表紙が切れそうになった1冊の雑誌は、今日も装丁のよい上質の本に負けずに書棚の上段に鎮座しています。
会長の名は安藤睦夫、大正13年生まれで北上夜曲を作曲したのは17歳、青森県八戸中学4年生の時・・・。 」 2007年8月に二木先生にお願いしてこの歌を収録していただき、じいじの膝に乗ってこの歌を一緒に歌った孫娘はこの春小学校3年生。
7おめでとうございます。
三好京三先生の『北上夜曲』が当時の茶色に焼けたザラ紙ですがしっかり読み取れます。
薄桃色の日差しの中で、それぞれの心のアルバムに育ちの跡が刻まれる。
しかも初めての土地で子供たちが続けて病気・入院・・給料も安かった。
母の年金に頼ったりしていた。 りんごさん、「春の唄」のコメントで秀作「草笛の先生役の 日曜日」のご紹介有難うございます。 昭和15年水沢農業の菊地規氏(18歳)作詞、昭和16年岩手県種市町出身、旧制八戸中学安藤睦夫氏(17歳)作曲を知ることができ、私の思い出になりそうです。
84年後次女の 幼稚園の卒園式でこの歌を聴いても平常心でした。
なお、テレビで放送されたのは、これが最初ではなく、その前にテレビ朝日の幼児番組で放送されたそうです。