西園寺家から譲り受けてから10年、当時の後小松天皇を迎え、盛大な饗宴が開かれました。 南北朝時代の終焉から5年後という時代背景 先ほどお話しした通り、金閣寺(鹿苑寺)は1397年、室町幕府の第3代将軍の足利義満により建立されました。
10放火をしたのは、当時修行僧であった林承賢という人物で、金閣寺から出火した火災で、庭を含めた46坪を燃やし尽くしています。
客室は洋室、和室があり大人数でも利用できます。
内部は非公開となっていますが、足利義満坐像や四天王像などの仏像が多数安置されているほか、お釈迦様の遺骨である仏舎利も祀られています。 境内の半分以上にもなる広大な池には、亀島、鶴島などところどころに小さな島が点在。 それが「西園寺」というものです。
12そのことを認識することが、スタートライン。
ただし、平日のみです。
歴史がもっと面白くなる!金閣寺の秘密&豆知識! それではここからは金閣寺にに関する豆知識をご紹介します。
西側は正面の間口3間、奥行1間分を吹き放しの広縁とし、その奥に位置する方3間を仏間とする。
なお、頂上にあった鳳凰及び「究竟頂」の額は火災以前に取り外されていたため、焼失を免れて現存し、このうち金銅鳳凰は(平成11年)に京都市指定文化財に指定されている。
7また、同じ時代に建立された天龍寺の庭園や、枯山水で有名な竜安寺の石庭にもあるように、当時の庭園は、石を上手く配置することで、庭園をより美しく表現する手法が取られていました。
衰退した土地と西園寺を手に入れたのが、当時の将軍足利義満だったのです。
しかしながら金箔で塗り絢爛な舎利殿は金閣として名前をはせ、知らぬうちに正式名所の鹿苑寺よりも金閣寺の名前のほうが浸透してしまいました。
14境内には約60種の桜が植えられており、シーズンにはライトアップやコンサートイベントなども開催されています。
なお、当事件にいち早く取材に駆け付けたのは、京都支局の福田定一(後の作家・)記者である。
『古寺巡礼 京都 20 金閣寺・銀閣寺』pp. 三層目(究竟頂):禅宗仏殿造りという中国風の様式。
お寺には最初の60分が300円、以降150円の 専用駐車場があります。
御影堂門の近くには、京都市の天然記念物に指定されている「大銀杏」があります。
初層が蔀戸を用いた寝殿造風、二層が舞良戸、格子窓、長押を用いた和様仏堂風であるのに対し、三層は桟唐戸、花頭窓を用いた禅宗様仏堂風とする。