現在只今、私のこの「やぶちゃん版芥川龍之介全句集」は、如何なる著作、如何なるウェブ・ページよりも最多の芥川龍之介の俳句を公開しているという自負がある。 その部屋の外を通りかかると、六十八になる伯母が一人、古い綿をのばしてゐる。 ……と書いて、アップして約9時間後、読んでくださった坂入啓子さんから「たかんな」の漢字が間違っているのではとの指摘があった。
18この時、高野山の大円院に宿泊、丁度評判になっていた高山樗牛の「瀧口入道」や「平家雑感」等を素材に、横笛と入道の悲恋について夜が更けるまで語り合ったが、廣瀨が立って別棟の便所へ行ってきた後で、昼なお暗い杉の間から洩れる月光が凄かったなあと呟くと、臆病な龍之介は怖しくなって依田に便所へついてきてくれと頼んでいたという。
直前の手紙文に「運座の節作つた僕の句を書きます但皆でたらめですよ」とあり、これらの句のあとに久米正雄の句二句と江口渙の一句が続く。
「まだ起きてゐたのですか?」と云ふ。 類型句「餅花を今戸の猫にかささはや」表記違い「赤時や蛼なきやむ屋根のうら」及び新発見句二句「摺古木に山椒伐られぬ秋の風」「迎火の宙歩みゆく竜之介」(これは「迎火の宙歩みゆく」で「龍之介」は署名に過ぎないのかも知れない)から成る。 現代の川は、この意味では、もはや川ではありえないと言うこともできそうだ。
15海鼠といえば、江戸時代の俳人・召波の「憂きことを海月に語る海鼠かな」を思い出す。
彼は知性の人でなくして感性の人であり、江戸ツ子的神経の都会人でなくして、粗野に逞しい精神をもつた自然人であり、不断に燃焼するパツシヨンによつて、主観の強い意志に生きてる行動人である。
注記には、昭和四十六(一九七一)年刊の筑摩書房全集類聚版第七巻及び第八巻の注、一九九二年河出書房新社刊 鷺只雄編著「年表作家読本 芥川龍之介」、一九八八年近代文藝社刊 中田雅敏「俳人芥川龍之介 書簡俳句の展開」、一九九二年蝸牛社刊 中田雅敏編著「蝸牛俳句文庫3 芥川龍之介」等を参考にした。 再度引いておくと、この「春雨の」の句の直後に「これは僕の近作である。 【二〇一一年二月六日】 全巻縦書化への準備のため、取り敢えず本「 やぶちゃん版芥川龍之介句集一 発句」頁の表記を改造、読みのルビ化やHTML記述を整除、注の内容の一部も変更した。
10七合の俳諧も同じことである。
「赤光! 僕は何ものかの冷笑を感じ、僕の部屋の外へ避難することにした」。
一九八六年踏青社刊の諏訪優「芥川龍之介の俳句を歩く」では、『中からは外が見え、外からは中が見えないこの地方独特の仕掛けで、いわゆる格子とは似ているがちがうものらしい』ともある。
8これではどうにも評論の仕方がない。
子供の頃、わが家では「せえふろ」と呼んでいた。
たとへば芭蕉の俳諧はその動詞の用法に独特の技巧を弄してゐる。
(略)僕はその何かに-ぼんやりした緑いろの何かに不思議にも心を惹かれるのである」。
勿論その句境にも剽竊した。 まだ誰か起きてゐるなと思ふ。 その他芭蕉の作品の中には「前髪もまだ若草の匂かな」以下、美少年を歌つたものもない訳ではない。
12詩には、つぎのような作品がある。
・・・(省略)・・・すべての作品であり、この無関心・無感動の表情に軽いユーモアがある。