空鞍一口。 横から見ると両部鳥居であることがよくわかります。
また、その巨大な山姿から多くの人々を魅了し、江戸時代には富士山と並ぶ程の信仰登山が盛んだった為に、御嶽山は日本七霊山に指定され、近代に於いては日本百名山に選ばれ、信仰登山に限らず多くの方に登られている山でもあります。
武州入東郡安松所澤住人、斎藤主計佑信廣治四年閏二月奉納の銘あり。
彩色は黒漆塗を基調とし、弁柄漆塗、金箔押を用いるほか、飾り金物を多用した華麗なもので、公儀普請を反映した第一級の本殿建築です。 今年 令和元年 は7月1日から10月16日まで黒沢山頂に立つ事ができ、今回ここで参拝できたのも貴重な時間となりました。 本社の後背にあり、竿石に銘あれど漫滅して定かには讀がたし、福田次郎遠之末葉、武州三田領長淵郷二俣尾村住人、福田半兵衛賴遠世慶長三巳丑五月吉日の數字ほのかにみゆ、されど三年は戊戌なり、疑ふべし、この石燈籠の邊に高さ五尺餘の石標あり、奥院征夷高祖神社、從是十八町の十三字を刻す。
8平安時代の延喜式神名帳には、大麻止乃豆天神社(おおまとのつのあまつかみのやしろ)として記されております。
管理人は3回目でいただけました。
この霊神碑は道路沿いに多数祀られ、よく見ると中心に御嶽大神、その横に覚明や普寛その他の行者の名前が書かれた大きな霊神碑が祀られ、その手前に無数の信者の霊神碑が祀られています。 その為に、御嶽山のもこのように八海山神社が建てられ、王滝口のみならず黒沢口にも八海山神社が鎮座されています。 社殿を横から見たところ、割と大きく立派な社殿です。
19本社の北八町許を隔て富士峯と云處にあり、小社。
究極不滅の真理を体現し、あらゆるものを司る神仏とされ、釈迦如来・千手観音・弥勒菩薩の三尊の合体した仏様とされます。
ものの10分もしないうちに遥拝所に到着。 下山時には雲が多くなってきてしまいましたが、登っている最中は良い天気!青空が気持ちよかったです。 画像引用:御嶽神社ホームページより 遥拝所(ようはいじょ)とは、「遠く離れた所から神仏などをはるかに拝むために設けられた場所。
7ただ参拝の作法としては上記の通り書かれています。
八海山神社 5合目には八海山神社が鎮座しています。
山籠もりなどをすることによって色んな執着から離れて、心を清らかにします。 円空仏で知られる江戸時代前期の円空も登拝した。 境内出土の布目瓦などにより、平安時代に社殿の建立が認められ、徳治二年(三一〇七)に壬生氏、延文・応永年聞に関東管領より、また永正八年(一五一一)三田氏、慶長十一年(一六〇六)、元禄十三年(一七〇〇)には徳川幕府によって、それぞれ社殿の造営がなされている。
16御嶽神社と御嶽霊神碑 御嶽神社は、山頂に奥社があり、山麓に里社、王滝村上島に三社、三岳村黒沢に若宮と本社があり、毎年夏になると、白衣姿で参拝する講社と呼ばれる信者たちで賑わいます。
富士山小御嶽石尊大権現、富士山中宮、富士天狗宮とも称され、富士登山者の守護神です。
同じ並びにあり、神體は甲冑をつけし武矢の木像にて、長一尺八寸、受鬘命をいはえりと云。 長らく死火山もしくは休火山と思われていたこの山が昭和54年(1979年)に突如噴火した。 服装などはハイキング程度で十分かと。
5現在の御祭神は木花開耶姫命とされ、子授けや安産の御利益を求めて参拝されているそうです。
小御嶽は富士山より先に出現した山で、小御嶽と古富士の二つの山を土台に噴火を繰り返し、形作られたのが現在の富士山です。