それを知った隣の老夫婦は再び難癖をつけて臼を借り受けるが、出てくるのは汚物ばかりだったため、激怒してで臼を打ち割ってにして燃やしてしまう。 東京大空襲のさなか、防空壕の中で5歳の 娘に絵本を読み聞かせながら創り上げた 再話小説の連作『お伽草紙』(1945)に、 「瘤取り」もあるのです。 隣の爺型の否定 [ ] 一部には「きこりと金の斧」や「」のような「隣の爺型民話」 と異なり、2人目の翁を擁護する分析もある。
15しばらくしてお爺さんは、ほろ酔いで寝てしまいます。
そうすると、木の前の広場に、大勢の動物や天狗や化け物のようなものがやって来て、酒盛りをはじめ、歌ったり踊ったりしだしたのです。
html) うーん  ̄ヘ ̄)、なるほど…… でもなんだか、オーバーというか、 生真面目に考えすぎって感じしません? 「大人になるための試練としての童話」 というのがそもそも「近代・西洋」的な 発想なんで、昔の日本人がそんな意識で 語り伝えていたかと考えると…… どうなんでしょうかね?? Sponsored Links 昔話はもともと子ども向けではない もともと昔話は(どこの国でも)子どもの ために作られたもの、というわけでは ないんですよね。 すると、となりのおばあさんは、「うちのおじいさんにも行かさないと。 おじいさんが山へ木を切りに行くと嵐に遭い、家に帰れなくなってしまう。
7お爺さんが鬼に顔のこぶを取ってもらう。
昔々、正直者のじいさんと嘘つきのじいさんがいて、それぞれ頬部にこぶ(つまり腫瘤)が有るんですね。
さらに、このおじいさんは怖いとか思う前に、行動してしまう人だったのでしょう。 川森博司 『国立歴史民俗博物館研究報告』 32巻、14—15頁、1991年3月30日。
15踊りには、自信があるんじゃ」 もう一人のおじいさんは、夜になると森の奥へ出かけて行きました。
でも、踊りも歌も、とてもヘタです。
永吉雅夫 『追手門学院大学文学部紀要』 23号、311—309頁、1989年。
でも、おどりなんか大きらいなこのおじいさんに、楽しいおどりをおどれるはずはありません。
瘤を取るとか厄を払うという呪術は入峰中に蓄積された験力の発揮であり瘤取り爺(鬼)のメインテーマは山伏の延年と呪験力である。
お爺さんは最初は驚きますが、そこは酒飲み同士。
こぶを取られたおじいさんは、思わずほっペたをなでました。 おじいさんの踊りが気に入った 鬼たちは、「明日もまた来るように。 明るい性格になった隣の翁は村人からも好かれるようになった。
11しかし世間から骨が偽物だと非難され、マンツは怪物を生きたまま捕まえるため再び旅に出たのでした。
おじいさんは、おどりが大好きだったので、じっとしておられません。
怒った鬼は、意地悪おじいさんの反対の頬に昨日とった優しいおじいさんのこぶをべたりと貼り付けてしまいました。
お爺さんもついつい鬼たちの輪の中に入っていってしまった。