明けない夜はないのだ。
… さて、考察はここで終わりません。
以下は、実際に自分の家にあるアルバム「盗作」の写真です。 n-buna いい表現ですね。 ) 更に、が遺した は三尺の童にさせよ という言葉についても触れていて、慣れて技巧ばかりを凝らすようになってしまった自分の音楽は、既に賞味期限が切れており、今まで続けていたものは所詮、芸術の真似事に過ぎないのだと心境を明かしている。
まず前者は、エイミーの人生や考え方を決めてしまった(決めざるを得なくなってしまった)外的要因をまとめて、「あんた」と呼んでいたのではないだろうかというものだ。
踊ろうぜ• 『山椒魚』も与謝蕪村の話もそうですけど、結局、僕はそのオスカー・ワイルドの「人生は芸術を模倣する」という言葉をヨルシカで表現したかった、そこに尽きるんですよね。
このアルバムには、短編小説「盗作」が付録されており、 完全に物語の中の音楽となっています。 僕は作品と本人は別物だと思っているから作品は作品、本人は本人として受け止めているので尊敬の念は抱いても妄信は出来ないのだ。 一、「あんた」はエイミーの人生に影響を与えた外的要因。
15で、『エルマ』では、エルマが音楽を始めて、自分の歌、自分の人生を歌った曲なので、感情移入というよりも、suisではなくエルマとしてレコーディングするという風に考えていました。
ずっと彼の後を追っていただけのエルマにとって、彼が寄越した詩の真の価値を理解することなんてできませんでした。
そこにも意味があって「 6時から夜」ということだそうです。 しかし、中身に込められた想いに気付いた時にそれは重量を増した。
5「パレード」のリフをそのまま使っているんです。
本当の詩はこの手帳の中にあります。
それから、この手紙を入れた箱はエイミーが送った訳ではないらしい。 そしてエイミーが語る言葉の数々に同じ考えだと共感もした。
7インタビュー・テキスト 編集:中田光貴、矢島大地(CINRA. 心の雨に負けて、引きこもっていたエイミーでしたが、ここでとうとう心を晴らそうとします。
「このまま、何処か遠くの国で」と「エルマ」の詩をそのまま引用しているところもあるんですけれど、エルマ自身が初めて自分の音楽を作りたいと思って書いたという立ち位置の曲です。
エイミーのエルマに対する思いや、音楽に係る苦悩が各曲に散りばめられています。
手紙のいくつかに、涙の痕が見えた。
一緒に連れて行ってくれればよかったと思ったのも本心だが、恐れがあったのも事実だった。 だから僕は音楽を辞めた これに対し「エルマ」は以下のようになっています。
11しかし、中身に込められた想いに気付いた時にそれは重量を増した。
これはどんなイメージで作っていったんですか? n-buna 監督の方と「このMVではこういう場面を描きたい」という話をして作っていきました。