ひむか の 風 に さそ われ て。 牧水かるた « 若山牧水

斎藤茂吉 万葉秀歌

われ 風 に さそ ひむか て の われ 風 に さそ ひむか て の

真淵訓の「紀の国の山越えてゆけ」は、調子の弱いのは残念である。 一首の意は、山を越して、風が時ならず吹いて来るので、ひとり寝る毎夜毎夜、家に残っている妻を心にかけて思い慕うた、というのである。

しゃぼん玉の結果発表|俳句ポスト365

われ 風 に さそ ひむか て の われ 風 に さそ ひむか て の

けれど、底の深い阿胡根浦の珠はいまだ拾いませぬ、というので、うちに 此処 ( ここ )深海の真珠が欲しいものでございますという意も含まっている。 《スポンサーリンク》 辞世の句 「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん」 人物年表 1667年 寛文7年 赤穂藩主・浅野長直の子、長友の長男として生まれる 1675年 延宝3年 9歳の若さで家督を継ぎ、第3代藩主となる 1680年 延宝8年 官職、内匠頭 たくみのかみ を与えられる 1684年 天和4年 山鹿素行 やまがそこう のもとで山鹿流兵学を学ぶ 1691年 元禄3年 火消し大名に任命される 1701年 元禄14年 松の廊下事件 吉良上野介義央に切りかかる 即日切腹 赤穂藩浅野家取り潰し どんな人物だったか・死に至った経緯 短気で怒りやすかったが、無骨で真面目な性格だった。

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浅野内匠頭の辞世の句《赤穂事件》

われ 風 に さそ ひむか て の われ 風 に さそ ひむか て の

今この御光 みひかり 一天 いってん にかかやきて、恩沢八荒 おんたくはっこう にあふれ、四民安堵 しみんあんど の栖 すみか 穏 おだやか なり。

柿本人麻呂 東の野にかぎろひの立つ見えて

われ 風 に さそ ひむか て の われ 風 に さそ ひむか て の

サヤケクモコソ(秋成)。 わたしのほうは、 かかれども おぼつかなくも 思ほえず これも昔の 縁こそあるらめ (お越しがなくても不安ではありません これも亡くなった兄宮さまとの宿縁で結ばれているからでしょう) と思ってはみるものの、慰めてくださらないと わたしは露のように消えてしまいそう」 と申し上げた。

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最後のKiss

われ 風 に さそ ひむか て の われ 風 に さそ ひむか て の

キヨクアカリコソ(武田祐吉・佐佐木信綱)。

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しゃぼん玉の結果発表|俳句ポスト365

われ 風 に さそ ひむか て の われ 風 に さそ ひむか て の

延喜式 えんぎしき に「羽州 うしゅう 里山 さとやま の神社」とあり。 或は相手に送った歌なら、「あなたが嘗てお立ちなされたとうかがいましたその橿の樹の下に居ります」という意になるだろう。

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宮崎県:宮崎(みやざき)はこんなところ

われ 風 に さそ ひむか て の われ 風 に さそ ひむか て の

袖 そで のわたり・尾 お ぶちの牧 まき ・まのの萱 かや はらなどよそめにみて、遥 はるか なる堤 つつみ を行 ゆ)く。 「船乗り」は此処ではフナノリという名詞に使って居り、人麿の歌にも、「船乗りすらむをとめらが」(巻一・四〇)があり、また、「播磨国より船乗して」(遣唐使時奉幣祝詞)という用例がある。 平成9年には約(やく)118万人(まんにん)でしたが、少(すこ)しずつ減(へ)ってきています。

浅野内匠頭の辞世の句《赤穂事件》

われ 風 に さそ ひむか て の われ 風 に さそ ひむか て の

まず、高館 たかだち にのぼれば、北上川 きたかみがわ 南部 なんぶ より流 なが るる大河 たいが なり。 この古調は貴むべくこの作者は凡ならざる歌人であった。 おじま が磯 いそ は地 ぢ つづきて海に出(い)でたる島 しま なり。

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柿本人麻呂 東の野にかぎろひの立つ見えて

われ 風 に さそ ひむか て の われ 風 に さそ ひむか て の

宮城野 みやぎの の萩 はぎ 茂 しげ りあひて、秋 あき の景色 けしき 思ひやらるる。