新勅撰集では「題しらず」、『西行法師家集』では「秋の歌どもよみ侍りしに」。
現世に執着する心はすっかり捨て切ったと思っている我が身なのに。
この句の「や」は疑問をあらわす。 Wolken 夏の夕べ 繁茂したクローヴァの酔うような匂いのなかで、 中休みの草刈人が歌をうたっている。 【補記】『山家集』には見えない歌。
10前者と解すれば出家の身にかかわりなく謙辞の意が強くなる。
【他出】山家心中集、西行家集、西行物語、題林愚抄 年の暮に、人のもとへつかはしける おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる (576) [新古691] 【通釈】言葉をかけない私を、ひょっとして、慕ってくれる人もあるかと、ためらっているうちに、年が暮れてしまいました。
【他出】山家心中集、西行家集、夫木和歌抄、六華集 面影の忘らるまじき別れかな名残を人の月にとどめて (621) [新古1185] 【通釈】いつまでも面影の忘れられそうにない別れであるよ。
15どんな人も他人を知らず、 誰も彼もみなひとりだ。
今の私なら強く言える、 楽しかったことだけを思い出にして、 大切にしまっておくから、ね。
頬杖をついて眠りもやらず 何か人知れぬ悲しみに沈んでいるのだ。 木の枝にはたくさんの小鳥がやってきて、楽しく、にぎやかにさえずっています。 農夫を、王を、商人を、勤勉な船乗りを、 牧者を、園丁を。
5上弦・下弦の月。
【他出】西行物語 東山にて人々年の暮に思ひを述べけるに 年暮れしそのいとなみは忘られてあらぬ様なるいそぎをぞする (574) [玉葉2060] 【通釈】年が暮れた、その時の恒例の行事は忘れてしまって、 出家した今は昔と異なるさまの正月の準備をするのだ。
) 人は憂し嘆きはつゆもなぐさまずさはこはいかにすべき心ぞ (682) 【通釈】人はつれない。 恋を遂げたいとか、一目だけでも恋人に逢いたいとか、そんな高望みはしない。 神路山を、仏が法華経を説いた霊鷲山 りょうじゅせん)と同一視しての謂い。
1よく見ると、どのしゃぼん玉も、その底に小さな太陽を宿しているのです。
そして靴もはいていない浮浪者がやって来ると、 その男に悲しく「やあ」と呼びかける。
民謡や童歌 わらべうたが低い声で 夕暮の風の中をのぼって行く。
大和国の歌枕。
だがたとえ彼らが私の手から滑り去っても、 私の心は深く不思議に あらゆる時間をこえて遠く 生の情熱を感じるのだ。 ㉚『バスを待ち 大路の春を うたがは(わ)ず』 作者:石田波郷 季語:春 意味:バスを待っていると、日の光はうららかに照らし、木々はみずみずしく芽をふくらませ、人々は春の装いをしています。
4俗名は佐藤義清 のりきよ。
いずれにせよ「春死なむ」の願望が現実と化したことで、この歌は西行の生涯を象徴するかの如き一首となった。