4㎝ 重文 は、平安時代 9世紀 作による。 ひび割れがないように背部から全体に深く頭部にまで内部がえぐられていますが、その部分は外から見えないように蓋板で被われています。
7しかし、ほとんどの建物は入口が閉まっており立ち入り禁止。
836年、広隆寺・隆城寺別当を歴任する。
南大門 - 15年()建立と伝える。 私の場合は授業の資料集をながめていて、なんて美しい仏像なんだろう!と心惹かれたのと、大学生による美しさのあまり指を折ってしまった、という事件を歴史の授業で先生が話をしていて、「それだけ人の心を惹きつける仏像はどんな仏像なんだろう」と興味を持ち、京都に家族旅行に行った時に、家族にお願いをしてこの広隆寺を訪ねたのが仏像との初めての出会いでした。
8 重文 女神坐像 霊宝殿 平安 藤原時代 木造・彩色 73. この「半跏思惟像」は「一切衆正をいかにして救おうかと考えている」お姿を表しています。
現代、1960年、弥勒菩薩半跏像の薬指の第二関節から先が折られる。
宝髻弥勒は飛鳥時代にはよく使用されていた楠製であり、また、楠は朝鮮半島には自生しないため、7世紀~8世紀の国産だといわれています。
その後、朝鮮系のアカマツの一木造と判明する。
堂内は敷瓦を敷いた土間とし、正面柱間は中央3間を吹き放し(壁や建具を入れない)、左右端の間は花頭窓入りの土壁とする。
南大門、東大門、西大門、築地は焼失を免れた。
西門より金棒、燈、囃子、松明、四天王の列が続く。 国宝第一号の指定を受けている。 二重円相の光背と裳懸座は一部に後補があるものの、当初のものを残している。
ただ、館内は非常に暗くかなり細部が見えにくい状態ですね。
広隆寺はこの国宝第1号に指定されている(宝冠)弥勒菩薩像だけでなく、 多くの国宝、重文の仏像などを保有しています。
太子これを覧給う時は千二首阿羅漢集って法華、勝掌、維摩の諸大乗経の演説と聞こえた。
とある。
本尊の聖徳太子像は秘仏であり、毎年11月22日のみ特別公開されています。
『角川日本地名大辞典 京都府』、角川書店• 本尊の厩戸王 聖徳太子立像 が開扉、勅封薬師如来像が特別開扉される。
座っている姿である坐像にもかかわらず、仏像の高さは256センチメートルもあります。 聖徳太子像を祀る堂でと同じであるが、建築様式的には純和様で檜皮葺きの軽快な堂である。 奈良時代~平安時代初期の作品であり、広隆寺の仏像で弥勒菩薩半跏思惟像以外ではもっとも古い部類にあたります。
4『日本書紀』 奈良時代以来、厩戸王 聖徳太子 建立七寺、八寺の一つに数えられた。
また寺の歴史は古く、京都では最も古いお寺のひとつともいわれています。