母と娘が似ているのは才能だけではなく、境遇も似ています。 「《涙色の花束を君に》……、新曲の歌詞を聞いたとき、私の目に浮かんだのは、あの密葬の日、花束を抱え悄然とたたずむヒカルの姿でした」 そう語るのは、宇多田ヒカル(33)を昔から知る音楽関係者。
2ここで描かれるのは母との思い出を振り返る宇多田ヒカルの姿です。
長年の間精神病に苦しめられていたそうで、宇多田ヒカルさんをはじめとした家族が、一緒に苦しみ、病気と向き合いながら戦ってきていたようです。
朝ドラ『とと姉ちゃん』の主題歌である『花束を君に』は、4月15日からフルバージョンが配信されているが、被災した熊本の人々の心も癒しているという。 その歌詞はただ単純に感謝や愛だけでなく、その愛の深さからもう母のことを忘れたい と思わせる内容な歌詞が並んでいたり、非常に考えさせられる内容です。
9この 花束という言葉には、感謝や敬意という意味が込められているのではないかといわれています。
先述したように『花束を君に』は母の死を題材に扱った歌。
藤圭子さんが亡くなった後に宇多田ヒカルさんが発表した言葉と、この歌の歌詞がリンクする部分が多くあることからも、この楽曲に込められた想いがヒシヒシと伝わってきます。
そして「君を讃えるには足りないから 今日は贈ろう 涙色の花束を君に」とさまざまな思い を綴った後に、その思いを込めて亡き母に花束を送る情景が描写され、 『花束を君に』は幕を閉じるのです。
父の照實氏は《(ヒカルは)ライブをやりたがっています》と、ツイートしているが、愛息を連れて帰国する日も近そうだ。 宇多田ヒカルさんが日本で久々に出演ということで楽しみではありますが、彼女の過去を調べて初めて宇多田ヒカルさんの壮絶な筆舌しがたい過去があることを知りました。 母・藤圭子が17歳だったころ母の猛烈な売り込みで、作詞家・石坂まさをさんの元でデビューしたように、宇多田ヒカルも母・藤圭子の売り込みでデビューを果たした。
16滞在していたロンドンから日本に帰国したのも、訃報から4日後のことです。
中でも 「生きることを教えてくれた」に注目です。
亡き母の悲しみの気持ちを歌った側面もあるかと思いますが、 それだけでなく母を思いやる、成仏というか、慰めの曲だったようですね!上手く言葉が出てきませんが! 本人も 「花束を君に」は、母に宛てた手紙と言っています。 ここまで似ているとちょっと怖いですね汗 おわりに さて皆様いかがでしたでしょうか? 今回は 「花束を君に」の歌詞や意味は?宇多田ヒカルと母のエピソードも紹介」と題してお送りさせていただきました。
ここで描かれるのは葬儀の際に花束をたむけているその瞬間だと考えられます。
洗練された言葉達が並べられている為、一見、悲しい歌には聞こえないのですが、言葉の裏の意味を知るととても深くて切ない思いを感じます。
一見するとひどく思える歌詞が逆説的に愛情の深さを表しています。
しかし、私はこの真相を知ってから「花束を君に」を聞くと、なんだか胸が熱くなって涙が出そうになります。
本当に生きる希望もなくし、死のうとさえ考えていたことでしょう。 「花束を君に」歌詞の意味 例えば、普段からメイクしない君が薄化粧した朝というのは、大切な人が亡くなり死化粧を施された朝ということを意味しています。 自分が生んだ子どもに対して、自分の子どものころを思い出すわけですね! そして、宇多田ヒカルさんの母・藤圭子さんが1993年にリリースしたアルバム「STAR」。
11しかし、楽曲全体の雰囲気は非常に優しげなもので聞いているだけで癒される名曲です。
そして、もしそういったことがなく「ただ楽しいことばかりだったら 愛なんて知らずに済んだのにな」と続けます。
2012年の『桜流し』を発表してから2016年の『花束を君に』までの間に活動はありませんでした。 宇多田ヒカルの母藤圭子 実は、この歌は宇多田ヒカルの母親である、故藤圭子さんに向けられたメッセージだったのです。
13それが出産を経て、自分を生んでくれ、歌手への道を拓いてくれた母へ素直に、深い感謝を捧げることもできるようになりました。
終わりに 今回は宇多田ヒカルの復帰作である『花束を君に』を特集しました。
「もし母が亡くなった後に妊娠していなかったら、 今もし子供がいなかったら、多分アルバム作ったり仕事を始めようと思えてないと思います」 子育てをしているうちに、自分の子どもの中に、自分が生まれたばかりの頃を見出すことができる。
17また、今日は贈ろう涙色の花束を君にというのは、悲しみながらも亡くなってしまった大切な人を花束を贈って見送ろうということを意味しています。
それが歌詞の一部である、愛おしい人愛おしい人どんな言葉並べても君を讃えるには足りないから、という部分に表現されており、母親に対する伝えきれないほどの感謝の気持ちを素直に表現されていることがよく分かります。