足摺半島の西海岸は、比較的水田に乏しい地区が多い。 かつお独特の臭みが全くなく、ふんわりわらの香りがしますよ。 どーーん!!! こんな感じに 焼いていきます。
発祥については、長宗我部元親が四国平定の途次、安芸の浜でカツオの大漁にいき当たり、茅で焼いて食べた事に始まるとか、藩政時代に幡多でカツオの大漁があり、藁で半焼きにしたのが最初だとか、あるいは明治維新に西洋人が来高した折、肉の代用にカツオを半焼きにし、ステーキ代わりにしたのが最初だとか、いろいろな説がある。
もちろんその中でかつおもピンからキリまであるわけです。
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私は、磯魚の焼き切りがカツオのたたきに発展した、と考えている。
厚切りにして、塩をふり、酢をかけてよくたたきつけ、皿に入れ、青い紫蘇をきざんで、つまとする。 ここの鰹の塩たたきは、特製のゆずだれをつけて食べます。 付け合せ:、、、、、玉ねぎなど。
もう一つは、たたきという法で、これは鰹の一ふし即ち四つ割のものをなお半分に切って、四つ串の出ている鉄きうにのせて、炭俵(茅でやるとよくないので)をもして、かつおを差し出して焼く。
森澤鮮魚店の鰹のたたき こちらは土佐市にお店を構える森澤鮮魚店さん。
」と、いつも主人と話しながら食べていました。 今日でもそうであるが、自分たちが日ごろ食べるのは商品価値の低いもので、それが磯魚である。
新鮮な鰹のウロコを削ぎ落とし皮つきのまま調理する。
では、たたきの発祥はどこであろうか。
さらに「十一月十四日吉辰婚禮」と記した料理献立には 小皿 鰹焼作 小皿 酒盗 奈もの とある。
しかも2021年のGWがNGだったほどです。
しかし、当たり前のことですが、生で食べるものは一度冷凍すると全く味や食感が違います。
江戸時代のたたきの作り方を記した『萬聞私記』が延享元年(一七四四)であるので、その後のたたきの出現に手がかりになりそうな記録を年代順にあげると 1.享和四年(一八〇四)の『森家日記』に 猪口 たたき 2.天保一五年(一八四四)の『柏島記』に ソジと言魚のかけ魚をやき切にして 3.弘化二年(一八四五)の『岡家陳上献立』に 小皿 鰹たたき 4.明治二六年(一八九三)の『割烹終業授業日誌第二輯』に 松魚のたたき 先ず松魚を四節におろし薄塩をいたし金串を刺して其場合肉となる所は少しく下身となる部は 久しくふすべ終れば刺身となし而して又食塩をほどよく散り酢及醤油を混じたるものを注ぎかく る也 5.年代は不明であるが、江戸時代と思える岡家の記録の中に「丁卯二月廿九日吉辰婚禮引渡」 と記した科理献立があり、それに 小皿 酒盗 奈もの 小皿 鰹叩喜 とある。
13では、たたきのルーツは何であろうか。
こちらのランキングでは高知県が堂々の1位となっており、全国でも随一のカツオ消費県ということが分かります。
十一月十四日の献立へ手がかりがないが、丁卯二月廿九日の「丁卯」を『高知県歴史年表』で見ると、延享元年以降は延享四年(一七四七)と文化四年(一八〇七)、慶応三年(一八六七)である。 もう一つは、たたきという法で、これは鰹の一ふし即ち四つ割のものをなお半分に切って、四つ串の出ている鉄きうにのせて、炭俵(茅でやるとよくないので)をもして、かつおを差し出して焼く。
18初めまして!池澤秀郎と申します。
駅弁というものは、列車の高速化が進み始めた昭和30年代後半から、年々厳しい環境に置かれてきてはいますが、今も全国で100軒前後の駅弁屋さんが頑張っています。
あんまり大声じゃいえないけど「 うーん、これはやめといた方がいいかも?」という商品もありますね。 日本の実家の母に「母の日」のプレゼントとして、御社のかつおのたたきを注文しました。 藁の豪快な炎でカツオを炙ることで出せる口いっぱいに広がる藁の香りは、バーナーでは到底まねできません。
14この中で、延享四年は延享元年からわずか三年後であり、しかも延享四年から五十七年の後の享和四年の森家日記に「猪口たたき」とあって、器物が猪口ということで江戸時代初期のたたきであろうと考えられるところから、年代が早いように思う。
慶応三年というのは江戸時代も末期ですでにそれ以前から焼き切りが盛んに作られているところから考えると、年代が遅いように思う。